KYとは空気を読むということです。
空気を読むとは「その場の雰囲気や状況から、自分がすべきことや相手のしてほしいことなどを推察して判断し行動する」ことです。
忖度も同じような意味で、他人の気持ちや考えを推し量ること、推察・推測することです。
しかし本来の意味の使い方はされていないようです。
空気を読む状況には、その場の空気を支配している人間がいるわけで、上司、先輩、長と名の付く
社長、理事長、会長、自治会長、町内会長,PTA会長、等々と声が大きい人間である。
つまり空気を読むとは忖度する事であり、結局自分の意見を前面に押し出すことなく周りに合わせて波風を立てず穏便に済まそうとすることになってしまう
日本ではこれが良きことであり守るべきこととされている。
果たしてそうであろうかと疑問に思う徹釣であります。
日本でバブルが崩壊して30余年低迷期に入っていて未だに脱出できていません。
この要因には色々あるでしょうが、バブル期の成功体験に固執するあまり変革できていないことが要因の一つだと思う。
これには日本人の空気を読む習慣がバブル期の大量生産、改善業務、集団行動にマッチしていたからと思う。この点は空気を読むことが良い方向に働いた時期でもあります。
しかし、この時期は安保闘争、ベ平連、等の時期を経た働き世代が活躍していた時期でもあり、それなりに反骨精神があったように見受けられる。
それが現在のTOPを占拠している世代が団塊の世代の次の世代であり、空気を読んできた世代でもある。
この世代が交代しない限り低迷期が続くような気がします。
低迷の要因が物理的な要因ではなく日本人の空気を読むという精神的なものに由来しているように思えるからです。精神的なものはそう簡単には変えられないから。
空気を読むのをやめるということは、良く議論をしコミュニケーションをとるといううことです。
今まで日本人は一部で根回しをして会議の時には物事が決まっていて承認の場になっているというのが一般的でした。
議論することが日本人には苦手な事でした。
かなり前から外国との付き合いでは、このやり方は通用しないのは分かっていながら日本では変えてこなかったのです。
また日本人は人が良いというか全て性善説に立った考えがあり、技術を与え、盗まれ、裏切られ、取って代わられる状態になっている。
全て空気を読むという精神文化に起因していると思う。
これをやめ、面と向かって議論し交渉することが必要と思う今日この頃です。
空気を読むとか忖度するとかは本来悪いことではありませんが、行き過ぎると良くないこと、悪いことに目をつむり隠蔽し、なかったことにして、最悪は手助けするということです。
世の中を見ているとこのような事象が多く見受けられます。
いけないことはいけないこととして、はっきりと意見を言える世の中になっていってほしいと思います。
自分の意見を言うことは社会生活、生産活動においても大事な事だと思います。
そうでなければ日本は浮かばれないだろうと思います。
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